2009/05/08

ケッコン記念日と、懐かしフラッシュCD-ROM


連休は久しぶりに東京(若葉の新しい実家)へ出向きました。その話は次回。

---

「カレンダーの祭日を祝おう!」という感覚には疎いですが、自分自身にまつわる記念日のことを考えるのは割と好き。「若葉@妻と僕の記念日」で大きいのが2つありまして、「結婚記念日」「結婚式記念日」がそれです。

何度も書いてる気はしますが、まぁいいか^^;

2001年10月21日 国際反戦デー

結婚式記念日は、「パーティ記念」と呼んでいます。10月21日に、大阪京橋の中華料理屋とカフェに友人親戚に集まってもらい、飲み会を開催しました。特に「式」みたいなオプションはやりませんでしたが、準備も当日も楽しかった。ブログの過去ログにその模様は、、、アップしてなかったなぁ^^; 動画やら写真やらも無理からに参加者に配ったりしてええ記念です。ほんまか!?

---

2001年5月1日 メーデー

5月1日。結婚記念日と言っても、婚姻届を出したわけでは無いです。同棲を続けていたところ、「共同生活をする上で住民票の住居地を同じくしておく方が便利かも」、という話で、日本籍の「若葉@未届けの妻(内縁の妻)」は世帯主に。韓国籍の僕は「夫(未届)」という立ち位置で、それぞれに住民票・外国人登録をしました。常時携帯義務がある僕の外国人登録証明書には、世帯主の項目があり、若葉の名前が明記されています。僕の続柄「夫(未届)」も書いてある。

ちなみに僕の父は在日韓国人二世、僕の母親は父@和歌山人 + 母@長野人を持つ日本人で、よく考えると僕たちと同じパターンなんだったな。盲点だった(´・ω・`)! (僕の両親は普通に法律婚。とはいえ、1970年前後の日韓”国際結婚”はそれなりにハードルは高かったようだけど)

僕たちの同棲という形式は、僕の母親にとっては「若葉さんの親御さんに申し訳ない」という気にさせてたようで、「婚姻届の未届け届け」後は、一応安心したとのこと。未届届けで、十分、効力あったね。

2001年5月1日から丸8年で、9年目突入! リンゴも5歳やもんな。あと8年経てば僕は45歳、リンゴは中学生か。なるほど、末来がどうなってるかは全く読めねぇなぁ(´・∀・`)

--

「鈴木裁判」鈴木先生@武富健治は、性、セックスに相当こだわりがあり過ぎて正直引くところもあるけど、婚姻の法制度のシステムの部分にも巧くタッチして欲しいかな、と思った。でもあれだ、同世代という以上に氏の饒舌さそのものにも、勝手ながら親近感を覚えてしまう。饒舌さは、本人にとって、「笑い」では無さそうだけどね。



---

関連




---

追記:青ひょん「国際事実婚」

》青ひょんさんが国際事実婚をしてたと知って嬉しくなってしまいました。

↑と、知り合いからメールを頂きました♪
ありがとう。
「国際事実婚」なんて言い方は初めて聞いたよ^^;

在日外国人3世(僕)と、割と日本国籍な人(妻)の場合、「国際 ザ・ワールド」かと言えば、多分、「書類上は国際」ってだけで、「一般的に想像されるような国際結婚」のように「文化の差異を清濁飲み込んでの付き合い」にはほど遠いんじゃないかな、と少し思う。言うても僕と妻は、同じ大阪育ちやし。

だしの種類や、なすびやニンジンの切り方が違っても、口に入れる材料は変わらんし、衣服のタタみ方は違っても同じようなもん着るしねぇ。

やっぱりアレよ、趣味主張こだわり時間の使い方、とかそういう「人種・民族・国籍・性別」とかで到底分別できないあたりが、共同生活のカナメでしょう。

あと、書類婚であろうと事実婚であろうと、当然のように、近所づきあいや親戚づきあいが、単身者である時よりも(?)生まれてきます。僕のところは現在「親同居」では無いけれど、仮に親同居だと「”国際的”文化的差異」というか、どこにでもよくある世代ギャップに回収されそうなハードルは出てくるかも? それこそ法事などの親戚行事は、「民族や国際」やらの切り口というか、「世代や男女」とかの切り口が有効になってる気がするしねぇ。

2009/03/27

ケンガリ奮闘と、韓学同の戦友との歓談(チホエミ結婚式3)



ちほくんと面白なかまたち
僕はテンパリすぎ!



コリアン率高っ!のパーティで、賑やかしにプンムルをする



「太鼓とかケンガリとかで練り歩きました。準備時間が無い中、ケンガリを引受け、やってみる。緊張で色々とヒキツリ気味だったが、個人的にも得ること多かった。年配のお客さんも喜んだとな。お二人さんおめでとう。」


--

ってことなんだけど、
僕は基本的にケンガリを叩きたくない体質(?)。 ケンガリは、指揮者のように、「次これ!」「はい、次はこれ」と合図を送ったりと、先頭にて全体の雰囲気を仕切ることが要求される。僕は仕切るとか、気ぃ抜かれへんのはイヤやねん。誰かが合図してくれるのんを聞いて、のんびり気ままに演奏する方が気楽やん! 演奏という限られた空間だけでなくて大抵の場においても同様でして、僕のキャラが生かされるのは、誰かの後衛に位置してプースカ言うスネ夫的な立ち位置やねんてば!! いや、ほんまに。 で、出来れば叩きたくないケンガリを引き受けたのには幾つか理由がありました。

  1. 数週間後に控えるポムソリライブ出演のために、人前でケンガリ鳴らす度胸を養いたかった。ってのは勿論あった。

  2. ちょい昔、2001年に僕と若葉の結婚パーティを開催した際、友人こばきょんがキルノリでケンガリをしてくれた(他に予定あったにも関わらず)。そのおかげで、本当に楽しげな雰囲気を作ることができたんよ。コバキョンには感謝してもしきれない気持ちで、ずっといっぱい。その時思ったのは、「機会があれば、次は僕が、ほかの誰かの大切な場で同じようにしよう」ってこと。

  3. パーティー2週間前に「それっぽい感じで何か賑やかしてくれ」とチホから話を振られ、歌や太鼓でお祝いすることに。もっと早く言うてくれ!^^; で、親友チホくんのパーティか。まさにここでケンガリせんで、いつするねん!? また、「チホの後輩による余興」という枠組みにしてしまうと、きっと、おっさん連中は動かへんに違いない。僕が出るほうが色々と言い訳が立つよね。


って理由でやりました。

で、まぁ、アトラクションの本番始まるまでは、緊張しすぎて飯はノドを通らんし酒は飲まれへんし、なんにもええこと無かったんですが、帰り際、チホのオモニが、

「ご近所の同胞の知り合いも披露宴に呼んだんよ! 皆さん、こんなん久しぶりで、楽しい楽しい、言うてくれましたわ!」

と言うてくれまして、僕も肩の荷もおりました。 ケミン、ポンシギも本当にご苦労さん。

若葉から後で聞くに、僕が 150 坪と広めの会場内を小走りに駆け抜ける後を、「どう見てもカタギに見えない」キソンが「ピッタリマーク!」でチンをボワンボワン言わして、その後ろを、チカラやらリンゴやら子どもソゴ隊の4,5人の小さいのがくっついていく絵はなかなか面白かったとな。どうみてもヨン様@チャンゴのおっさんも、会場の一部ですごい盛り上がってたって。会場のお客さんを全員立たせる(!?)のは成功したんとちゃうかな。良かった良かった。

あらためて、ちほ、えみちゃんおめでとう。また、アトラクションやらせてくれてホンマにありがとう。

---



親友写真


---

1990年代半ばの韓学同4地方委員長集結



「ディアスポリスの裏都庁は民族国家の枠を超えた枠組みということで割とラディカルだけど、、、確かにフィクションだけど、、、それに近いというか、今や誰もが知る民団・総連をはじめとしたコリアン系の集団も「日本」のアンダーグラウンドとして確かにありまして、僕らはそんな世界の端っこで、大手?に所属することもなく、なかなか健闘していたと思う。戦友である委員長団と楽しい再会。次回もお祝いで会おうね♪」


--

ってことなんだけど、
新郎のチホくんが、僕の大学時代に所属した”サークル”友達ということで、その時の友人に久しぶりに対面した。相応に歳取ってる姿を見るのはとても愉快。

韓国学生同盟の1990年代中盤の4地方委員長が揃い踏みだよ。というか、4地方(中央総本部@東京、兵庫、大阪、京都)の委員長が卒業後に仲良くしているというシーンは、多分、業界的に「有り得ない!」のではなかろうか。

どこの”セクト”でもそうだろうが、政治的対立、イニシャチブの取合い、OPの思惑、そういったディアスポリス的?なシガラミが 1990 年代の半ばやっちゅぅのにあったわけ。韓(朝鮮)半島の統一とか、韓国民主化とか、韓米日軍事同盟粉砕とか、在日同胞の結集とか言ってる足元で、民団にも総連にも属さない僕らが、さらに内部対立を深めてたりする。

内輪で分裂してる場合じゃ無いのだけれど、OP世代の政治オルグ、、つまり、情勢認識というか政治趣味の差異や、スポンサーの意向?による先輩世代の”政治的対立”に巻き込まれ、振り回され、とばっちりを、現役学生は被りがちだった訳だ。お題目とすれば、「汎民族大会を支持するのか?」とかな本質/個別論争とか、統一日報とかKHとか今から思えば、「ふーん」という話だけど、当時は、生き死にを目の前にしてたし、必死だった。

そういう面倒くさい背景があるにもかかわらず、僕らの代は「仲良し」だった。僕は他の委員長団が大好きだった。「キセキの世代」と言って、自慢してみてもいいだろう。自慢する相手がおらんけど。僕らが選択した方針は今から振り返ってみても”正しい”ものであった。

そういえば田島くんはどうしてるん?誰か知らんの? RENK 絡みで会ったのが最後、、。「よりによってなんでRENKなん?」「だって、RENK、ってチョンヒョンみたくなんでもありやで」という会話がターくん見かけた最後!(笑)

、、、古い話は置いといて、久しぶりにあって面白かったことをメモしておく。書けるのは時効?になってる部分だけだけど。書けないことは頑張って自前の記憶に刻み付けとく。

  • 当時の中央総本部委員長が「え?汎民族大会って、支持してたっけ、どっちやったっけ?」とか言ってる(笑)
    ただでさえ、関西では「中総委員長の背景」を巡ってゴチャ言うOPがおったり、「東京+京都 VS 大阪+兵庫」 というよく判らない図式を持ち込まれたりで一部で大盛り上がりやったのに。さすが、中総委員長! そういうところも大好きだ。そういえば、なぜかうちの家に、君らの先代の汎民族大会がらみの会議議事録ノートがあるねん。なんで?^^;

  • マー会議
    僕が委員長になる直前、まだそれほど面識の無かったチホと一緒に、「マー会議」が何度も夜中秘密裏に行われた。「マー会議」は大阪京都の先代の世話役と一緒に行われて、内容は、兵庫中総路線からの離脱話など。僕もチホも状況が理解できないところでオルグされる。とりあえずたまらんかった。、、、だったんだけど、当時、マー会議に同席していたヨン様がパーティ3次会にて「おれは、分裂なんて勧めてないぞ」と力説。あぁ、確かに、ヨン様は、そんなこというてなかった。「分派すすめるヤツが、在日朝鮮人運動史をレジュメに書いて、マー会議で説明するわけやろ」と。おぉ、確かにそうですなぁ! ええ話が聞けました。でも、オレ、ヨン様に前回会ったシーンではヨン様から「何しに来てん!出て行け、帰れ!」って糾弾されてたんだよなぁ。懐かしいわ (´・∀・`)

  • 税理士コール
    会場で何度も税理士コール。なんか、ちほが恥ずかしそうで緊張してるのが意外。こっちはもっとテンパってて申し訳なかった。

  • 「仲良し委員長団」であることを言うとき、ちょっとユンヒョンに申し訳ない気分とかあったんだけど、いやいや、それは僕のオゴリでした。自分を過大評価しすぎ。恥ずかしい。次は、4地方で子づれ家族づれで遊べたら、、、と夢見ておこう。


何も食べられへんし体調も悪かったので、3次会の途中(夜中の3時!)で退席させてもろたけど、ほんま、色々思い出したり、悲しかったり、嬉しかったりと、疲れた一日でした。色々な人に感謝。

関連:


2007/08/12

2001年秋.結婚飲会。zoomify 設置メモ

「大きな画像をドラッグして見せる」って工夫、最近はみんなどうやってるんかなぁ、と、 「怪異・妖怪絵姿データベース」で「ぬらりひょん」を探しながら頭をひねっていたんだけど。なんと、そんなサービスがあったり、photoshop CS3 で書き出せたりしたんだねぇ。(「ぬらりひょん」がどこにいるのかは、判らんままなんだが)



早速、思い出したように、2001年秋 GARB での「結婚飲み会」のヒトコマを up してみる。



懐かしいなぁ!・∀・
今更ですが、ほんま皆さん、遠いところから来てくれて大感謝です。この写真は参加者が1/3ぐらい帰ってしまった後に、思い出したように、キョンヂャに撮ってもらったもの。しまったな、とても惜しいことをした。、、、ついでに色々「しまった話」を思い出した。皆さんが帰る前に引き出物のクッキーを渡すのをすっかり忘れてるとか、他にも忘れてるとか、怒られるとか。うぅ、ほんま恥ずかしい人生だ。

  1. ref --- [bookmark] 妖怪データベース
  2. ref --- おひさしぶりね、京橋。


zoomify についてメモ





本体(zoomifyViewer.swf)、画像ファイル(フォルダ)の絶対位置指定できます。

「PARAMNAME="FlashVars" VALUE="zoomifyImagePath=http://hoge.com/image/"」
「PARAM NAME="SRC" VALUE="http://hoge.com/image/zoomifyViewer.swf"」


-----

■ 追記 2007.08.23 青ひょん

<zoomfy
メニューバーが出るときと出ないときとあって、困っていた。クセで入れてた「wmode="transparent"」を外すと、メニューは出る。そこは、ポイントじゃ無いような気がするんだがなぁ、、、。わからん。

こういうことがあると、昔、メーリングリストやら掲示板(for flash)に常駐してたときとの情報格差に泣く。でも、今更無理だなぁ。

-----

■ 追記 2007.08.28 青ひょん

<object / embed
embed タグだけにして、object は消しちゃったのと、flashVars と並列して クエリストリングでも変数渡してみる

 →次の さんぽ 話   おひさしぶりね、京橋。
 ←前の さんぽ 話   琵琶湖に散歩
 →次の わが家・ともだち 話   友の来訪歓迎と、旅立ち
 ←前の わが家・ともだち 話   ぜんまいざむらいセット

2007/06/02

東京.結婚式参加

毎度おなじみの一張羅


残念! リンゴは欠席。ケイスケの結婚式

若葉の弟、ケイスケの結婚式へ若葉と参加した。実は、リンゴは前日まで、、↓

「(・ω・)リンゴは飛行機でケイスケの東京へ行く。
飛行機、リンゴが前で運転するから、青ひょんと若葉は後ろに乗ってや」


と息巻いてました。しかしながら同日、「おたふく風邪」と小児科医に認定されてしまい、やむなくリンゴだけ欠席することになりました。

ひと月以上も前から「飛行機を運転する。飛行機を運転する」と頑張ってたもんだから、リンゴを近所のユキ(妹)に預けていくのが申し訳なくて申し訳なくて、、。次回リンゴが飛行機乗るまで、今回のことは黙っておこうと思う。

おたふく認定話
←ほっぺたは「腫れてるような腫れてないような。よくわからん。
←熱や目に見える異常は発見できず、本人、超元気。
←保育園や周囲で、おたふくは流行ってない。
←尿検査において、U-AMY(尿アミラーゼ)が 1000 超。おたふくの根拠とされた。
←伝染病(おたふく)の危険性がある以上、「公共の場での活動はやめるべき」論


リンゴの「またいとこ」にあたる、リク、リュウくんに合わせたかった。二人ともごっつい賢そうで(実際かしこい)モテモテ系。僕は又従兄弟とか会ったことない。

久しぶりの東京だけど、、

久しぶりに仕事以外で東京に来たものの、会場以外ウロウロする時間は余り無い。白金台「シェラトン都ホテル」が会場。東京白金は来るの初めてだ。行く前に google の衛星写真を見てて、会場そばの森の中にカフェを発見していたので、まずはそこへ向おうという話に。

向かった森のカフェというのは「八芳園」^^; いやぁ、大阪万博公園のレストランみたいなのを勝手に想像してたら、ぜんぜん違ったよ! 今から披露宴で腹イッパイ食べるので、、、庭をチラ見しつつ退散。自衛官な方々が挙式してはった。カタイ服着てはった。

聖心女子学院そばのパン屋で土産買って、ホテル近所の中華料理屋に辿りつく。

え? ご飯と具の関係が、しっくり来ないんですけど!


結婚式は面白かった。新婦が学生時代「和太鼓」頑張ってたということで演奏お披露目コーナーもあったよ。
披露宴で流した写真スライドショーについては次回少し書く。

お庭の妙な、、、、素敵なもの

八芳園、都ホテル、双方の庭を歩いていて非常に気になったのは「変わった大陸系石像・石塔」の存在。へうげものが似せて作らせたか、わざわざ大陸からカキ集めてきたかと思っておりましたが、それについては、八芳園の web に一言あった。

久原はこの地を購入した当初から、自然の地形を生かした大庭園構想を密かに持っていたようです。土地購入後まもなく、付近の土地を次々に買い集めています。敷地を拡大した久原は、1万2千坪(約400万平方メートル)へと拡張。
かけがえのない静寂とともに大庭園構想に必要な庭地も手に入れました。さらに、年々各地からの大小の名木や名石が集められました。なかには、1000年以上昔の作と伝わる国宝級の古代朝鮮の仏塔や、鎌倉時代の十三重の石塔などの逸品がありました。自然の持つ無駄と人工的なものを取り除くだけで十分だ、と久原は常々「自分は庭づくりなどという大それたことはしない。自然を整えるのだ」と言っていました。このため庭師などにもたとえば松の枝一本であっても自由にさせなかったといいます。

八芳園の歴史
http://happo-en.com/history/
日立の久原房乃助やったんかいな。うーむ。

とにかく、天気が良くて良かったです!

  1. map --- 東京白金
  2. ref --- シェラトン都ホテル
  3. ref --- 東京白金の八芳園


  1. 「Google Earth でスライドショーを作る」 へ続く


 →次の さんぽ 話   5月中に書いておきたかった
 ←前の さんぽ 話   ロケット広場なくなるそうで
 →次の コリアン 話   在日韓国人な法事(ほうじ、チェサ)
 ←前の コリアン 話   [news] 出生届なしでも住民票作れ