[kr] 韓学同京都の現役後輩に会う(1)
韓国学生同盟というのは、僕が学生時代 1990 年代前半に京都で所属していたサークル(民族グループ、クラブ、セクト?)の名前。先日、現役の委員長と梅田で会った。彼と13,4年の差があるということは、翻って、僕が現役のときに、1980 年前後の OP と会うぐらいの差があったということのようだ、、、。「時代が違う」というか、物理量としての「時間」の差を、もっと自覚すべきだった、、。今ごろ反省。今ごろ、自分自身の「止まっている時間」にビビった。
それで、非常に興味深い話を聞いたんだけど、それは追々と思い出したように書くとして、話の前提を幾つか。それと気になるトピックスを。
- 韓国学生同盟
- 節目?の系列を端折ってメモ書き↓ 出典は、僕の曖昧な記憶と、他は後述する。韓学同は学生組織なのでメンバー交代のサイクルが早い。よって、組織として連綿と一貫性があるというよりも、その時々の政治関係・人間関係(権力的なオッサン連中)に振り回されつつも、情勢の中に己を見出そうとしてきた、、、のかな。
1945 在日朝鮮学生同盟(朝学同)結成。右派→左派
1949 在日韓国学生同盟(韓学同)結成。右
1960 4.19(사일구)。反独裁反封建反外勢反買弁
1962 原宿時代
1965 韓日条約本調印。平和線死守
1965 韓学同直轄~解除
韓国民族自主統一同盟(韓民自統)
韓国民族自主統一青年同盟(韓民自青)
の変遷と統一朝鮮新聞(→統一日報)派オルグ
1971 民団東京本部直轄→解除。録音テープ事件
1972 韓学同、民団傘下団体認定取り消し
「7・4南北共同声明」支持/不支持
1973 韓国民主回復統一促進国民会(韓民党)(→韓統連)結成
1980 光州(강주)。
韓統連、韓国青年同盟(韓青)、韓学同の共闘
1991 韓国青年連合(韓青連 →KEY)結成
「汎民族大会」支持/不支持
韓学同、韓統連と離反。韓青連と青学共闘路線。
(1990~1993 青ひょん、京都府本部在籍)
1994 韓学同京都府本部、全国隊列を離脱
2000 韓学同京都、ワンコリア青年学生協議会参加
2007 韓学同京都、まだまだ頑張ってる模様
↓リンク先は、数年前(2004,5年?)の現役が up したものらしい。
現役委員長に聞いたんだけど、ムジは「伝説の委員長」になってるらしい!∀ いやぁ、安心した^^; 面白い
現在、韓学同京都は20名弱のメンバー。メンバーの条件として、韓国籍/”朝鮮籍”/日本籍に妙なこだわりもない。年2回、機関紙を送ってくれるので、活動の雰囲気はなんとなく想像していたが、委員長と話してみて「自分たちの頭で考えようとして、なんとかムズムズもがいてみる」というベクトルを堅持しているようで、好感を持つ。中総、大阪府本部が停止し(兵庫はこの間なんとか大会をしたという、、、)、未だに韓学同の看板を掲げることを選択している韓学同京都委員長は、「会って話しが出来るなら、地方関係なく誰とでも会う。もし、他地方で話をしてやってもいいという OP が居られたら教えてほしい」と言ってたよ。今度は学同大阪のOPと話する、、とか言うてたような。
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この話、まだ続きますが、ちょっと別のトピックス。
ペンライトのことを調べようと、こないだの8・15の各団体取り組みを検索してたら、以下の記事に出会う
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記事.<光復節特集>民団の明日を引っぱる青年会 2007-08-15
http://www.mindan.org/shinbun/news_t_view.php?category=13&page=16
<光復節特集>民団の明日を引っぱる青年会 2007-08-15
「屋台骨」として…OBから
青年会OB全国連絡会 会長・林三鎬
(抜粋.青ひょん)
民団は、民団の組織破壊の先頭に立ったがゆえに傘下団体認定を取り消された韓青(在日韓国青年同盟)に代わり、健全な青年会を結成すべく、青年会結成に全組織力を結集した。そしてほぼ4年の歳月を費やして49地方本部を結成し、77年2月に中央本部結成にこぎ着けたのである。
<「8・13事態」
この事件は決して、突発的に起こったものではなかった。72年7月に民団傘下団体認定を取り消された韓青と韓学同は、その後さらに先鋭化して民団の大会、集会に押しかけては暴力的に流会させたり、民団の会館を不法占拠するなど無法の限りをつくしていた。
<「5・17事態に奮起」
そして青年会で活動した多くの青年達は、活動者として民団に参加していった。その結果、民団は生活者団体としての内実を豊かにし、大きな変貌を遂げることになる。
しかし、30年周期説ではないが、8・13事態からほぼ30年が経過した昨年、「5・17事態」が起きた。韓統連と朝総連が結託し、またもや本国の政治情勢に民団を巻き込み、あわよくば民団を我がものにしようとしたのである。
青年会やそのOBが先頭に立って、民団が営々と築き上げてきた「生活者団体」としての基盤を、根底から覆されかねなかった。この危機意識はOBたちを奮起させた。事態の克服にOBたちの果たした役割は決定的であったと自負する。
民団は今や「生活者団体」の旗幟を鮮明にし、今日なお組織の健全性を誇っている。一方、韓青、韓学同を含む韓統連、そして朝総連は今なお、旧態依然として北韓に追従しながら、ようやくその命脈を保っている。
8・13事態と青年会の関係に続き、5・17事態と民団の関係から私たちが教訓とすべきは、柔軟でしたたかな生活者の視点から、民団の組織基盤をいっそう強固にし、在日同胞のための組織として自主性を確立していくことが最重要課題だという一点である。
最後にこの場を借りて、OBの皆さんには民団の場でいっそうの仲間意識を育み合い、現役の皆さんには30周年ジャンボリーを成功させ、民団の将来を明るく照らし出してくれるよう、願っています。
青年会へのエールとして書かれた内容のようだけど、2007 年の状況を 1972 年をして語るという語り方にビックリ。(民団総連「和解白紙撤回」話。「総連の民団乗っ取り」という物言いがどの程度民団内で一般的なのかは検討つかんが、、。) ありえる? 僕自身は林三鎬氏を存じ上げないが、どつきどつかれた時代の後方に居った方だと思うのだが、色々と恨みとか大きいんかしら、、。朴槿恵が大統領予備選挙に負けて良かったんかな、、、。
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元ネタなど
僕が京都で現役の1990年代の頃、在日朝鮮人運動史の中の学同史として1960年度前後のレジュメを書くときの元ネタは、1966年当時の韓学同京都のメンバーが書いた記事。時期は民団直轄解除直後、つまり、立場的には、「自統・自青は左派として急先鋒すぎた、それは我々の求める運動と違う」というようなところ。引越後、ようやく本棚の整理が進んで資料が出てきたよ。資料の書き手とはお会いしたことが無いが、歳で言うと僕の父より少し上だと思うので、メンバーだった父も地方は違えど知っているのかもしれない。それについて父と話をしたことは無い。
- 「韓学同に関する若干の考察」『白衣民族』 学生新聞記事より 1966
http://aohyon.googlepages.com/gakudoShinbun1966.pdf
また、青年会OP林三鎬氏@民団の発言を読んで、割とびっくりしたので、そういう憎悪の歴史というか、ちょっと忘れてたドロっとした熱いものを思い出そうと、これまた本棚の整理のおかげで出てきた『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実』、十四代沈壽官推薦の李瑜煥の民団・総連フラクション"記録"に、目を通す。、、、KCIAな人々ってこの10年何をしてるんだろうね。、、そうそう、この本、えらい細かい心理描写まであるんだよな。でも、やっぱり韓学同はサイクル早いから、本だけ読んでも、よく判らんな。というか KCIA サイドも韓学同はサイクル早いし別に、、、って感じかな。
ちょっと適当な物言いになったけど、この話つづきます。このまま終わったら、「あ、韓学同ってやっぱりそっち行ったんだ。さすが公安」って話になっちまう。
- テグキ(太極旗)もハットンキ(学同旗)もいらん 辺りに続く
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/青ひょん