「おそい本名宣言」/韓学同京都府本部機関誌『ムグンファ』(1993.11.21 大学4回生)
- もう泣かないでいま、あなたをさがしている人がいるからおまえに会いたいよと(売野雅勇『水の星へ愛をこめて』)
- 我々は自由な思想と創造的精神で学術を錬磨し、真理を探求する
- 我々は祖国統一と独立を確立し、民主国家と均等社会建設に尽力する
- 我々は相互親睦を図り、高尚な人格と進歩的精神で世界人類の文化向上に貢献する
(韓学同結成綱領1963.10
/在日韓国学生同盟中央総本部)
韓学同運動:在日同胞の民族権益を争取・擁護し、韓半島の民主化・統一の実現を志向する民族民主勢力であるという基本的な志向性をもち、民族の一員として社会の一員としての自覚を備え、思想的なもの錬磨し、在日同胞学生としての自己に向き合いながら創造的な活動を行う
政治闘争:我々の志向する「社会」を創造していくための「変革」運動
組織拡充:在日同胞を結集させ、「民族幹部」を育成し、社会に創出する。なによりも、在日同胞が共有を深めあい、民族主体性を考え、実践できる場
文化活動:民族権益を争取・擁護し、アイデンティティーを確立するための民族文化運動。在日同胞学生の民族教育、民族性の積極的自己実現(「1992年度新体制に向けて」
/韓学同京都府本部) - 我々は自由な思想と創造的精神で学術を錬磨し、真理を探求する
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上の綱領は、日本の敗戦・韓半島の解放後、様々な民族団体が語調の違いはあれ、その内容をほぼ同じくした綱領を持つ中、全国韓学同が了解し持ち得たものである。綱領というものの持つ重み、その文言、現在までの長い歴史を前に私は圧追されそうになる。左翼的な時代の発想の影響が濃いと思われるが、民族的なものを追求していくとき極端に言えば右も左もどっちもありなのだという考えがあるとすればそれに共感はできうるものの、在日社会の状況が生優しいものではないことを強く意識される。それでも逆に、韓学同が学生の持つ自由な創造的空問を模索し、我々の社会に向合い、その地からより開かれた社会にも目を向け続け表現し続けてきたことに思馳せることは、現在の韓学同を創造するとき、これからもあり続けるであろう韓学同を想い浮かべるとき、大きな原動力になり得る。また、韓学同運動という項目で書かれたものに対しても個人的に賛同する。さらに、私自身の現韓学同での役割から、個人的な欲求からも、その内容を次の世代に伝える仕事が重要で同時に韓学同が韓学同たらんために死活的であると認識する。以下は、私自身最後の一般投稿として、韓学同での活動を振り返り、私の在日に対する想いを書き連ねる場として使用させていただく。ただ、隣人に想いを伝えることに執着はするが力量故達せられないことの多かった私には、本当に書きたいことが書けるのか、書きもらしてしまうことがあるのではないのか?という危慎を保ちつつ、それでも正直に書き連ねたいという意欲が強い。できるならその葛藤を汲んで欲しいという思いのあることを最初に述べる。
なぜこれまで学同をしてきたのか、と自問してみる。高校時分までは、在日であるということに対してそれほど積極的な意識はなく、たまたま日本人の母と韓国人の父のハーフであり、本名しか持たない、という現状認識でしかなかった。今思い返すと、元教師志望であり私塾を経営する両親が本名のみを私に与えた事実、幼年期父がハングルを教えようとしていた事実や、60年代末に日本人と韓国人(父は長男であった)の家庭を創ることにした両親のことなど、私に与えられていた思考する条件はそれほど少なくなかったことがわかる。
大学1回生の時は、特に同回生には多くの人間が在てなかったのだが、同回生の人間と関係を模索していきたいという欲求もなく、もっぱら日常活動において先輩の話を聞き知的欲求が満たされることのみに喜びを覚えていたよう思われる。自分の気持ちを追求してみると、1回生は私ひとりである方が都合がよいのではないか~と思うことさえあった。在日であるという意識はそれほど深まることもない。ただ、韓学同の本道ではないのだが、民族運動ではなく学生連動の主体への欲求は膨らんでいった。歴史学習会などを通じて、そこで語られた「事実」を私の生涯において私の表現方法で語ろうとも考えた。また、私の中で特異な位置をしめていた母親錯綜も、韓学同において満たそうという意識が深いところにあったように、今、考えることができる。
同回生唯一の執行部の時期を経験した2回生においては、春から執行部が3、4人の状況であり、様々な場面で精神的圧追を受けた。それは「逃げだそう」「やめてしまおう」という意識が生まれる余裕すらないものであった。私のいいかげんさ・暖昧さという特性から、超個人的な正直さでもって活動するが、勿論組織活動とはなり得ず、誰とも意思疎通ができない中、状況は悪循環し、「裏切られた」「人間的にダメ」と精神的に追い詰められ、訳もわからず、それは人間関係に悪いように表出した。悪いようにというのは最近ようやく自覚できたものである。当時の活動は、個人的な「人間関係」と、「政治的抑圧」のあるいびつな在日同胞社会をなんとかしたいという素朴な問題意識によって行われた。
韓学同京都における客観的に重要な位置せられた3回生においては、物理的にも精神的にも日常活動においまくられ、問題意識は2回生の時のものが深まることはなかった。後輩から3回生になっての変化を指摘されることが、私には逆に不思議であった。気が回る方ではない私が相対的・技術的に気が回ることはあったと理解できるが、私をとりまく状況も自分では変化したとは思わなかったので、よくわからなかった。本物の目玉である私の鼻の上についている一組分それだけからは、ふしあなのように、このまま韓学同盟員みんなとうまくやりうることが見え、できるであろう希望が活動根拠にさえなっていた。しかし、そこで何をいっしょにやるのかという問題にしても、誰のために運動をするのか、何をどのように変えることが必要なのか、何が必要なのかも観点にのぼってこなかった。さらに私の暖昧さが招いた幾つかの別離を経験し、程なく最上回生を迎えることになる。
韓学同の、韓学同京都の、可能性については様々な漠然とした意見を聞くことができていたのだが、その可能性の有無についてわかってみても具体的に何をして、何をしてはいけないのかはわかる状況でなかった。個人的に、信じられる人間関係もなく、もう一度一人から姶めようと考え活動を行っていった。そうして恥ずかしながら、また自然なのかもしれないが、現在の主体が確立されていったのは客観的に最上回生になってであった。勿論、それまでの活動も担保となってはいるのであろうが、確信を持った、主体の明らかな対等関係であったり、対話といったものができ得ていったのはそれからのことであった。
最上回生になり、一つの場を取りしきる責任を負い、日常がはじまると、まず世界が非常にひらけた。情報が多くはいってきた。韓学同の在日社会における位置(過去、そして現在)というものも見えた気になった。私が知らなければ、やらなければどうにもならない、そういう意味で自尊心や韓学同を担うことの誇りといったものが急速に作られていく。そして、皆で作らなければという思いもありつつ、私個人が細まったパイプとして収敏する側面が大きかった。また、そのパイプからは、内部の活動そのものが内部的な内輪的なものになってしまったように感じられることとなった。感覚的物言いではあるが、客観的に内部ををみるとき、なんとか外に開けた組織にできないものかとよく考えた。だって我々は、民団社会に立脚し、我々が得たもの考えているものはそこに向けられるものなののはずだから。
また、在日同胞社会の形成、具体的には在日朝鮮人運動史、そして、今定住を前提にするなかで行われている在日論といったものに触れていくなかで、私の活動の根拠も深められていった。それは、在日同胞社会の歪みをなんとかしなくては、という思いから発するものである。個入の旅券発効業務が維新民団によって行われ、政治的抑圧がなされてきた社会。冷戦の産物である南北分断、同胞社会においても民団・総聯を中心とした分断が持ち込まれた歴史。周辺には民団・総聯が中心であろうとする在日同胞社会に嫌悪感を抱き、同時に離反させられる人々が多数在る。そうした人、事象に触れていくなかで、同世代の人間にも同胞社会の現実を知ってもらいたかったし、私はどう変え得るのか答をもっていないにしても、一緒にそのよくない部分を克服し、今後をつくっていく仲間をつくりたいと強く念じた。一世、二世との違いを単純に語るのではなく、一世、二世が受け渡すべきことを受け継ぎ、ダメな部分を克服しつつ、法務省の人間の「在日の同化も完了しているし、選挙権ぐらいやっても構わんだろう」といった言動に対して我々の主体を深め、今後のことを語り合う仲間が欲しかった。そんな友達が欲しかった。おそらくこれが韓学同京都をやり続けてこれた根拠であると思う。勿論その過程で、やっていて「おもしろい」ということも重要な要素である。組織活動を担っている主体として責任感の欠如するものであるが、個人個人の関係を大事にして欲しいと思うし、私もそうありたい。
どのような韓学同を創りたいかと自問してみる。一言で言うなれば、「自立した、たくましい学生」が集い形成され、そうした人間を社会に輩出する場を創りたい。自立したという物言いは漠然としているが、わたくしの存在そのものに対する追求を行い、その主体がどこに形成され得るのか、その主体において何をみることができ得るのか、そしてわたくしの頭においてそのことを考えることができ得る人間、在日韓国・朝鮮人という欝陶しい物言いをせねば主体が問い難い我々の社会においてそれでもその主体形成を行うたくましさを保ち外に表現でき得る人間、差し支えなければ民族幹部と言ってよいが、そうした人間を韓学同は輩出してきたし、これからもそうあるべきである。個人にとっても社会にとっても非常に重要なことである。「三っの国家の狭間に漂う」と言われる在日が、それでも漂う旅人みたいなマネが叶わない社会に対して、客観性をも持ち込むことができうる学生時代に、学習しつつ、自立し、そして共に社会をたくましく生きていこうという仲間をつくり、実践する、そんな場を創りたいと考える。さらにその場においては、「今後の社会、生き方について考える」ということが実践できなけれぱならない。在日同胞社会の歪みを力強い意思でもって是正していき、たくましく社会で生きていく。そのために、分断されている半島状況を意識し、在日情勢を注視する必要はでてくるのであるが、特に、「主体の問題」において自立するということと、情報のくみ取りかたを常によく考えて欲しいとおもう、当然、学習することが前提となっているが、それは学生時代に、自分自身のこと、自分自身が生きていく社会について知ることの大切さ、ということを強調して考えてもらいたい。
最後にもう少しだけ、ぼろぼろと述べたいことがある。それは、在日・韓学同ということを思考するときに少し思いだして欲しいと思っていることである。在日ということを思考するとき、その思索の方向が特に我々の世代の在日にとっては、過去と現在をいったりきたりすることが容易であり、うまくすれば現在を解体するような、過去と現在を意識的に混同した豊かな想像を得ることができるということである。何を言っているのかわからない、かもしれないが、もう少し聞いて欲しい。現在は、在日を主人公にした物語が数多くある。それらの物語の中でよく使われる文章構成の技術として、現代を生きる主人公が、あたかも過去においての誰かが経験したことを大筋において再現し新たな道を模索するというもので、描写は過去、現在と何度も往復する。例えば、在日一世の誰かの経験と在日二世、在日三世の経験を照らしあわせてみたりする。また、例えば、日本にある風景と同じ風景を、大昔の朝鮮の人間がみる風景と同一化させたりするものもある。
私は三世であるし、一世のハルモニ、ハラポジの声も聞くことができうるし、体にも触れることができる。そういう意味で、在日同胞社会は世代交代が進んていると言うが、我々には交代する相手が身体的にわかるし、想像することができるのである。我々の次の世代になるとそうはいかないのだ。顔の見えない世代の生き方は、歴史教科害の1ぺ一ジに等価に乏められるのだから。みなさんは生活をしていて、活動をしていて想うことがあるだろう。人生は一本道。「どしやぶりの一車線の人生」。いったん分かれてしまった人間関係、顔の見えなくなった人間関係は後戻りしない、といったことを。であるから私は思い出してほしいのだ。我々には現在と過去を行き来することができる、想像を広げそれを生き方に変えることができるということを。そして、それを隣人に伝えて欲しい。苦しくても何か各人の表現する方法を模索して欲しい。自分の想いを隣人に伝えることをやめてほしくはない。私の好きな映画の中で次のようなやりとりがある。「いい人間になるためにはどうすれば、いのか?」「いつも自分の心に耳を傾け、真実を言う。つらい真実を」
次に、韓学同のことである。私の好きなロック歌手が、「本を捨て町へ出ていろんなことを見て歩こう、何か嫌なものを見てもそいつは人生の修行だ!」と歌っている。「本を捨て」というのは、あまり本を読まなくなった今の世代には、なんの批判にもならないように思われるかもしれないが、これは自分の世界に閉じこもって限られた情報の中で安住するのはよろしくないと訴える歌だと認識している。さらに、それまで読んでいた「本」に対しても、批判的な厳しい目を持つことが必要であり、その批判に絶えられない「本」は捨て、嫌なものも頭で争えることが必要であると歌っている。
韓学同は、民族学級であり、入格形成の場であるということはよく言われる。私は、この場で物事を見る観点をたくさん養って欲しいと思う。そのためには、たくさんたくさんの本を読み、勉強することが非常に重要であることが、当たり前のように出てくる。弁証法という権力知、反対者の存在を抹殺することなく自己実現の力に収奪・転化してしまう究極の理念的権力の功罪を背負うこともまた必要なのだ。ただ、私が一番気をつけて欲しいと思うことは、その学習過程、もしくは人間関係において、その対象を判断する際になんでもかんでもこうだと決めてかかるなということである。ある事実の当否の確認が無意味である場合があることをこころして欲しい。流布されやすいうわさというものは、一度読んだり、聞いたりすると、単語のみが先走って記憶に刻まれやすく、しかも反発することが容易ではないという厄介さがある。一見、いかにも動かしがたい、本質的な・人格的な事実のようにみえて、じつはそこにあるのは全体の脈絡だけを解体し、印象だけを浮かびあがらせ、事実として抽出してしまうという、判断する側の批平性を喪失した事実主義に陥ってしまうことがあるのだ。もし、ここに流布する則の意図が加わるならば、そちら側とこちら側との間に、一種の共同性のようなものが成立する。こうして成立した共同性が、こういった意見のもつ強い流布性を保証するのであり、判断を奪う強制力を形成するのだ。批判的であってほしいというのは、以上のような問題意識にも由来する。
最後に少し具体的な間題であるが、特に注意して慎重であってほしいことがある。韓学同は、祖国の民主化・統一、在日の解放を唱い、これまで活動をしてきた、そして、これからもそうあって欲しいとおもう。そこで、一体どこの誰に立脚し、物事を考え、運動をおこなっているのかという問題がある。つまり、主体の問題と、その主体の立脚する場の問題である。例えば、民団民主化を掲げている韓学同は、「変わった」という意見もある民団をどこから見るのか、本当に変わったのか、7・7不当処分はなんだったのか、韓日条約についてどう考えるのか、そういった間題をみなで本当に考えなければ、望む自立は不可能なのではないか。そう考える。社会的諸権利獲得の問題についても、我々は、在日という主体のないところでは、やはり何も望めません。在日のアイデンティティーといったものが確立されないところでの、参政権を含めた諸権利要求は、日本の同化・帰化・抑圧・追放政策の強化される現状況において、非常に危ういものなのです。
私自身は、民族教育などのアイデンティティー構築を外にも内にも行い、参政権を要求したいと考えます。ルールを作る権利はその場に参加している入であれば誰もがもっているであろうとも思う。そのために、その場の内部の様々な差別を克服することが大事であるし、その場の外部がどこまでであり、国といった枠が変化せねばならないとも考える。しかし、そのためにも、我々の自立という困難な課題は必要不可欠なものとして我々の前にあるのです。在日論のいくすえに見えかくれする、帰化推進の影におののきながらも、我々は積極的に考え、話合い、考え、話合い、自立せねばならないのではないですか。特に共に考えていきたい課題であります。本当に最後ですが、同世代意識を大事にしてほしい。それに固執することはマイナスであるが、同回の人間関係を大事にし、共に考え、共にできることを模索する関係をつくってもらいたい。対等な会話、関係は最高である。同志なんていうと連合赤軍・党派性という問題を批判しきれぬ主体の問題が重くのしかかってきて嫌だが、やっぱり一人じゃだめのようなんだ。そう考える。(四回生男子盟員)
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[追記]
← くどくどと五月蠅い人ですね(^^;(1997.12レス)
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/青ひょん