2008/11/28

[育児]『どっこい北田辺は生きつづけた』


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容赦なく立ち上がります。


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先日「すっかり虚弱体質な最近のメモ」で、『どっこい北田辺は生きつづけた 大阪市・北田辺保育園の産休明け保育25年のみのり』(戸田円八郎・戸田節子)がどっかに無いかなぁと書いた次の日、なんと、メビウス宙域に復帰されたジョニー・ライデン少佐(仮名)が、「読むといいよ」と僕に貸してくれた。

昨日の今日って、、、素早や過ぎるんですけど! ニュータイプ!

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初代園長(園丁)と主任保育士@妻による回顧録+α。

何度か読む。

ライトの通う保育園の話。僕は同じ保育園の出身者という訳ではないけれど、同じこの地域で生まれ育った(僕の父(アブジ)も同じく)。昔の状況を示す記述に興味があった。

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どっこい北田辺は生きつづけた
大阪市・北田辺保育園の産休明け保育25年のみのり
発効日 1980.03.20
著者 戸田円八郎・戸田節子
発行所 さ・さ・ら書房
発行者 新保昭治
監修・浦辺史
帯 秋葉英則


目次

第一章 北田辺の保育園づくり

一、はじめに
二、北田辺保育園づくり二十五年
北田辺の胎動期(めばえ幼児園)、財団法人北田辺保育園、新館増築と定員増

三、保育園の状況
施設・設備、職員、経営規模、父母の会、長時間保育、障害児保育、


第二章 産休明け保育の実際

一、はじめに

二、北田辺保育園の産休明け保育の概況
0歳児の集団とは、保育の基礎となる生活表、保育計画とデイリープロ

三、基本的生活習慣
挨拶、食事、排泄、睡眠

四、健康とたんれん
日光浴、うす着と服装、乾布まさつ、素足で育つ
赤ちゃん体操、赤ちゃんの平均体温、おむつのあて方と股関節脱臼、かかりやすい病気と対策

五、あそび、行事、玩具

六、発達過程でのいくつかの問題
夜泣き、指しゃぶり、左ききと0歳児、ことばの発達

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1953年01月 前身の「めばえ幼児園」開設
1955年02月 児童福祉施設、保育所として認定(40名)
1970年04月 新園舎完成(90名)
、、、
2008年   定員(120名)



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1980年に出版されたということなので、30年ほど昔の執筆になる訳ですが、その内容は色褪せることなく、言うてはることに納得する場面が殆どであった。保育素人の僕には、「今の時代にそぐわない記述」など、特に目に留まらず。「日光浴にはビタミンDも補給できるメリットがあるんですよ!」という当時の言い回しが、最近で言うと「日光浴にはビタミンDの形成ぐらいしかメリットがないよ(毎日15分の照射で十分 WHO/EHC160, 1994」という言い方になるかな? というような微妙なニュアンスの変化、時代性の反映という側面はあるかもしれない。しかし、親世代と話をする際、ことあるごとに「今と昔で、どうしてこれほど違うのか!?」(だっこするなとか、布団かぶせて暖めろとか)と仰天することが多い子育てテーマにあって、多くが納得できる内容になっていることはスゴイな、と感じた。

「 How to 子育て」な部分以上に興味深いのは、戸田円八郎、戸田節子、両氏のリアルな孤軍奮闘ぶり。ゼロ歳児保育が認知されていない時代に、その必要性から他に先駆けて実践に取り組んだ姿は、非常に格好よろし。先駆的であったという「誇り」は、多分、今の園運営にも生きているはず。また、どんどん姿を変えていく園舎の様子も興味深い。1950年代の地域史、郷土史記録にもなっている。

道路になる予定の児童公園が、園のそばにある。「ひかりのひろば児童遊園」と言う。淡白な名称が多い児童公園の中、風変わりで頼もしい。今年2008年まで、その児童公園では様々なイベントが行われきたが、大阪市の方針により園などのイベントで児童公園を使えるのも今年が最後、、、。公園を囲むように植えられていたポプラたちも、この秋、根元でバッサリ刈られてしまった。

そういう状況があったのだが、北田辺を少しは知る僕の母(地元は山坂)も、「あのポプラが切られてしまったんだねぇ。悲しいねぇ」と言ってる。な、なんと! そんなに有名なポプラであったのかと驚いていたら、本の中では、50年も昔に大阪市からの「プレゼント」としてポプラが植えられ、皆が喜ぶ描写あり。そないに長い時間を知っているポプラだったとは。後から知った話にも関わらず、刈られたことが心にダメージ大きいぞ。

あと、そういえば、「クリスマス会の「中の人の役」はゼロ歳児の父ちゃんから」、、、という話題を、先日、担任の先生から振られたのですが、その慣習も、30年前の本の中で「昔からゼロ歳児の父親に~」などと書かれてました。思わぬことが連綿と受け継がれていくんだねぇ!


以下は、浦辺史の「監修のことば」からの部分引用↓

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施設史をかくということは、時にふれたくない面もあろうし、勇気のある作業である。施設長を中核とする職員の協業と父母の協力によって営まれている保育所をダイナミックに画きだすことはすこぶる難儀なことである。民間保育所の大部分な形式は法人経営であるとはいっても、経営と管理が未分化な家族労働がみられる零細経営で、事実は個人の私経営。大部分は労働組合がなく近代的労使関係も確立していない。こうした民間保育所の中には少数であるが、「民主保育所」があり、これにも二つのタイプがある。一つは共同保育所から出発して認可保育所になったもので、創設の当初から父母と保育者が主体になって民主協力の伝統が脈打ち、父母と職員による民主運営が行われている。二つには創設者が新しい社会を展望する民主主義思想の持主であって、進んで住民の保育要求をくみとり、これにこたえようとして活動を展開しているものである。(保育所の運営について実態を明らかにしたもののうち共同保育所の歴史と実態をまとめた)「芽がでてふくらんで」は前者であり、この本は後者の典型とみることができるように思う。

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第一章で、園長の戸田円八郎さんは北田辺保育園づくりの歴史と現状を語っている

第二章で、園長夫人であり主任保母である戸田節子さんが産休明け乳児保育について自らの体験をまとめた実践記録だる。節子さんは東京の丸尾ひささんとともに乳児保育の開拓者であって、全国保問研や保育合同研の乳児保育分科会の世話人として活躍している。

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書名が物語るようにこの本は、敗戦後のスラム化した地域につくられた救済的保育園が世のうつりかわりとともに、地域もかわって働く母の乳幼児保育園として保育運動の拠点にもなった北田辺保育園二十五年の実践の重荷が感じられる本である。保育関係者、保育学生はもちろん、乳児をもつ若い母親にとってもまことに親切な育児書である。

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