2016/10/25

多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 はじめに


はじめに

 今から2ヶ月前、2016年8月に、日韓ハーフの僕は自分+家族のことを自己紹介として文章にする機会を得ました。そのうち、蓮舫議員が二重国籍の議論の中で沢山の方々から叩かれ「私は日本人です。私は日本人です。」と連呼する事態になっていました。宮根誠司も叩いていたね。僕の文章は二重国籍の話題を含んでいたので、公開するにしても事態が落ち着いてからと考えました。世間は、今回の経験で国籍や二重国籍状態についてどれだけ理解が深まったでしょう。「ルーツは大事」って言うてはった方もいるのかな。沢山の議論を見聞きし、無国籍状態や朝鮮籍の話が通じる世間では到底なかったことを再確認しました。

 僕は日韓ハーフの韓国籍です。1971年生まれ。僕と妻は国際事実婚。現在中学生の息子が生まれる直前の2004年、僕は僕の戸籍地である韓国晋州市に渡り胎児認知を手続き。日本の役所でも胎児認知の手続き。それで息子は出生と同時に日本と韓国の国籍を取得しました。その後、現在小学生の次男と保育園の娘は、日本国内で韓国領事館を通じて胎児認知の手続き。日韓の国籍とパスポートも取得しました。しかし、日本では二重国籍は認められておらず、日本国籍を持っている者は韓国のパスポートがあろうと日本社会では「日本人」でしかありえません。日本社会がルーツを大事にしないシステムにあることが、右からも左からも違和感として表明され続けてきました。取得した韓国のパスポートも使える場面はありませんでした。

 20数年前、鄭暎惠が子どもに韓国+カナダ+日本国籍を取得したという記事を僕は読みました。そういう生き方もあるのかと驚いた。国籍や国境から解放されるために、国籍を取得するという話も彼女から伺いました。ハーフの僕がクォーターの僕の子どもたちに日韓の国籍を取得させたのは、「「だれでもおったらいい」社会を実現する一員として生きるきっかけの1つになれば」という思いからです。

 以下、「民族学級を広げよう深めよう」民族教育フォーラム2016でパネリストになった時の自己紹介の文章です。結構長文ですが(6900字)転載します。また、ブログにもアップしました。

★facebookノート http://bit.ly/2dC9oVp
★PDF https://drive.google.com/file/d/0Bx...
★ブログ http://aohyon.blogspot.com/2016/10/daredemo...
★民族教育フォーラム2016
https://www.facebook.com/aohyon/posts/...

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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はじめに 1,2 3,4 5,6 7,8 9 10


多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 1,2


1★ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)

大阪で一級建築士・グラフィックデザイナー。
日韓ハーフの在日朝鮮人。韓国籍。妻+子3人。保育、学童保育、民族学級、小中PTA。1971年5月大阪生まれ大阪育ちの44歳。

(名字のムンは仕事でもなるべくカタカナ表記。日本の戸籍名の「文」だと、「ブン」としかどうしても読みたくない方が結構おられるので。名前の「ヒョン」は戸籍上の漢字が難しいので(火玄)、カタカナで役所へ通称名登録しています。)

 最近、僕の仕事場である建築現場でも日常的に多言語が飛び交うようになりました。外国にルーツある住民が大阪に増え、地域や職場が多文化、多言語な状況になっているにも関わらず、なぜ、国際化といえば英語能力を高めることであるとされているのか。英語も大事ですが、地域の多文化状況を知り、学校現場を通じて大人もしっかり繋がって、学校から町へ「だれでもおってええ」を広げていこう、大人の活動や雑談の場を広げよう。学校がもっと変わらなければ世の中が変わらない。学校が最前線です!という話をしたいです。  僕とアブヂと息子は、3世代で同じ大阪市東住吉区桑津小学校に通いました。僕は民族学級(民族クラブ)未経験ですが、息子たちは設置されて約10年のハヌルの会に参加。当初隔週で実施されてきた民族学級も、活動の定着と内容の発展のために毎週実施を大阪市にお願いし、数年前より毎週実施に。10人前後でアットホームな雰囲気。今年度は柳侑子ソンセンニムが担当。民族講師は非常に不安定な待遇ですが、うちの学校管理職、教務主任、外担などの先生方は活動に大変理解があり、私達の話をよく聞いて下さり一緒に盛り上げて下さっています。

2★僕のアブヂ(父)と母の出会い

 慶尚南道の僕のハラボヂ(祖父)とハルモニ(祖母)が渡日。多妻でしたが1番若いハルモニ、僕のおばあちゃんと生活。アブヂは在日韓国人2世。4人兄弟の長男。学生時代より在日朝鮮人の近現代史を研究。在日朝鮮人運動史の年表作成。金剛学園や、湊川高校などで教職についた後、大阪市内で自営の学習塾を経営。和歌山県人父と長野県人母の長女である僕の母は、大阪の女子校女子大を経てアジア近現代史を専攻し、僕のアブヂと出会いました。母とアブヂで日韓条約の研究書を共著。

 30年前は生徒に手を上げる塾として近所で恐れられ、何かの折に僕もよくどつかれました。さすがに今はどつかない。僕と妹を育てた2人は、現在6人の孫の近所で生活し、アブヂは身体を悪くし数年前に危篤になりながらも、だまし騙し学習塾を続けています。

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 3,4


3★アブヂの活動家不信

 アブヂが勤めた湊川高校では当時金時鐘氏も教員で、人権教育として朝鮮語が必修でした。アブヂは朝鮮人生徒を先頭にたたせる運動は偽物だと異議を唱え続けました。アブヂは民団組織に関わった時期もありましたが、いきさつがあり民族組織からは離反。アジテーションばかりの朝鮮人活動家が大嫌いで、運動圏とも距離を置き日本人の研究者たちと親交を深めながら、在日朝鮮人の運動史研究を続けました。僕が「在日朝鮮人」を自称するのは、そんなアブヂたちから学んだ戦中戦後の在日朝鮮人運動史に繋がり、運動史を引き受ける者でありたいという思いからです。

4★通称名は持たないけれど

 僕はその在日韓国人2世のアブヂと数世代日本人の母との間に鶴橋バルナバ病院で誕生。通称名を持たず幼稚園時代から名札はムンチョンヒョン。アブヂは幼少時は通称名を名乗っていたとのことですが、僕が名前で悩まない様にとあえての命名。対して2歳年下の妹は苗字は文(ムン)で名前は朝鮮語でも日本語でもユキ(ユギ)のマジックネーム。最近、妹から「私もコリアンぽい名前が良かった」という話を聞き驚く。僕は小中高と大阪市内の日本の公立学校園へ通学。家は東住吉区北端、そかい道路南端の桑津杭全辺り。1学年に数人、外国にルーツがある子が居そうな雰囲気で、うちだけ日本人ぽくない民族名のムン。しかし、面と向かって「からかわれた」経験は1度も無し。民族学校や民族学級の存在も知らず。朝鮮半島が分断されており、南側にルーツがあるらしいという程度の理解。中学、高校も民族的な出会いは全くなし。周囲で日本人っぽくない名前、見た目の人間に出会わずに高校を卒業。40歳近くなって「この朝鮮人め!」と差別扇動デモで要らんことを言われたのが初体験でした。

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 5,6


5★民族との出会い

 僕にとっての民族学級は、大学で出会った民族サークル(韓学同京都)でした。1990年。出会い頭、上回生が大人で、盧泰愚大統領訪日阻止のためハンストしてたのが衝撃。在日コリアンの歴史、権益問題、北東アジアの平和軍縮、韓国の民主化を共に学ぶサークルです。大学1回生の8月15日に生野で生まれて初めてデモにも参加(僕の子どもたちは既に数えきれないぐらいデモを歩いているのに)。チェサかデモか?と詰め寄られました。韓国の独裁政権打倒というスローガンは良く理解できず声を上げられず。韓国良心囚(政治犯)を即時釈放せよというスローガンだけ声を上げました。

 民族サークルでは在日コリアンが共同体たりうるのかは常に大きなテーマでありました。活動を通じて知り合った日本人学生の日韓連帯運動の仲間にも大きな影響を受けました。民団総連など民族組織や大人世代の後ろ盾を持たない学生民族運動で学んだのは、自分の頭で考えて行動することの大切さ。また僕は日本人の集まりの中ではあくまでも在日コリアンであり、コリアンの集まりの中では半分日本人で異質であると、ハーフの拠り所の無さも強く意識させられました。

 大学の民族サークルは大学と共に卒業。その後、特にどこの運動組織にも加わることは無く、建築事務所へ就職し会社員に。週末、一人で、北東アジアの緊張を煽るなと日韓軍事演習反対のビラを作っては韓国領事館前でデモ配布。京都ウトロという朝鮮人密集地域への関わりでは、ウトロへ来た日本人の嫁たちと農楽サークルを楽しみました。チャンゴは大阪市内、駅前でもどこででも叩いてきました。

 様々な社会運動に関わる中で気づいたのは、関わる者が元気に、エンパワーし合えない取組みは、何かが間違ってるってこと。内部の権力的な関係が解消されないのはトップも組織もダメであるということ。消耗しないさせない、潰れない潰させないための繋がりと連帯を。特に異なる意見を人格ごと退けたりする場面も多数見聞きしてきましたが、意見の違いをエネルギーにして、一緒にすぐ横を歩かずとも、「そんなことでうちらは分断されへんのや」と、同じ方向を進んでるという確信を共有し、それぞれが奮闘してそれぞれが止めずに進んでいく大事さを強く意識してきました。

6★妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン

 妻の若葉は吹田市で高校生のときに朝鮮文化研究会に所属。日本人も在日コリアンも在籍していたが、民族講師はそれぞれを明確に別扱いした。日本人がチョゴリを着ることの批判を受けたり、コリアンの友人との超えられない壁、断絶を知ったりする機会に。在日コリアンが「日本人と一緒やね」と言われたくないことを知る。最近、ある朝鮮舞踊の先生が「昔、日本人の生徒にチョゴリを着るな」と叱責したことを悔やむという話をされた。

 「日本人も在日コリアンも変わらへんやん、一緒やん」ではなくて、「日本人も在日コリアンも、とっくに一緒に生きてるやん」って僕らは言いたい。

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 7,8


7★子どものパスポート

僕と日本人の妻は2001年に国際事実婚。婚姻届は出さず。国際事実婚の場合、当時は子の出生による父親の国籍取得が出来ず。長男リンゴが生まれる時は、日本と韓国双方に胎児認知を申請。日本国内の韓国領事館を通じての事務処理が困難なため、韓国の戸籍地へ初めて訪問。プサン生まれの友人に助けを借り、プサンから車で数時間の晋州市の山奥へ。生まれて初めてのヒッチハイク。外登証の表記でしか知らない僕のルーツである住居地の村はダム湖に沈んでいましたが、出会う人が皆さん優しくて感激。韓国の男性はマッチョばかりという先入観も、優しい大人に沢山出会うなかで妄想であったと再認識(当たり前!)。その後子どもたち3人は日本のパスポートと韓国のパスポートを取得。しかし日本は二重国籍者という扱いが無い。日本籍があれば、あくまでも日本人扱い。韓国のパスポートを作ったものの使う機会はまだ無い。

8★民族学級の保護者活動にも出会う

うちの子どもたちの保育園(吹田私立さくら保育園、吹田市立山田保育園、大阪市立高松保育所、大阪私立北田辺保育園)、そして保護者運営の学童保育に出会い、 保護者活動に関わり出しました。全て行政の認可施設ではありますが、共同保育の伝統を先輩たちから沢山教えて頂きました。長男がゼロ歳の時はじめてお父ちゃん会に誘われて以来、保護者や町の大人が地域の子育てに当たり前に関わり喜びを共有する、沢山の仲間ができました。僕よりも若い子ども世帯にも同じ様に、子どもを通じた地域の大人の出会いの素晴らしさ、当たり前に大人が地域に関わることを一人でも多くに伝えたい。子どもたちが民族学級に出会う中で、僕も民族講師や学校職員の仲間に出会い、再会してきました。民族学級保護者の先輩、同胞保護者連絡会の会長で、大池中学おやじバンドの高用哲さんが、様々な場面で「民族教育というのは人間教育なんだ」と力説していました。強く僕も同意です。子どもたちには、民族学級を通じて自分と他人のルーツを学び認めて、多様な生を実感して想像力を鍛え、生きる力を高めて欲しい。ひとりひとりの人間をなめない、なめられない、それを学び実感する多文化教育であって欲しい。

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い

3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど

5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン

7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 9


9★だれでもおったらええやん

  • 2009年12月「史上初!京都ウトロデモ」数百人が京都宇治市住宅街でデモ。路上「朝鮮人を撃ち殺せ」
  • 2011年夏 大阪での多数の差別扇動デモの存在を、大阪市に問う。
  • 2013年2月「「死ね」も「殺せ」も もう、やめよう。」41歳・会社員・日韓ハーフ(韓国籍)
  • 2013年2月「日韓国交断絶国民大行進 in 鶴橋」当時中学2年生の参加者が拡声器で「鶴橋に住んでる在日クソチョンコの皆さん!」「もう殺してあげたい!皆さんも可哀想やし、私も憎いし、死んで欲しい!いつまでも調子に乗っとったら、南京大虐殺じゃなくて、鶴橋大虐殺を実行しますよ!」。世界各地でニュースに。
  • 2013年夏2014年夏「仲良くしようぜパレードin大阪」。大阪で人種差別を許さないと声を上げパレード
  • 2014年11月 長男リンゴの「大阪にだれでもおったらええやん」が大阪市人権啓発キャッチコピーで市長賞。
  • 2016年7月「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」全面施行


 2009年12月20日、朝鮮人密集地である京都ウトロ周辺のデモに僕は並走しました。道幅2mの狭い道、コリアンルーツの表札が出てる民家前でコール。何事かと驚いて小さい子どもを抱っこして玄関先に出てきた家族たちに数十人が詰め寄って「朝鮮人でていけ!」とがなりたてる。僕はすぐ後ろでそれを目にしながら何も言えず、一人で彼らの後ろ姿に目を見開くだけ。このデモには先日の東京都知事選に出馬していた桜井誠も参加。彼は東京で11万票を獲得しました。彼も僕と同い歳です。

 2011年、民族学級の内実を深める大阪市との交渉の席で、僕は、差別扇動デモが行われていることを市担当に問いました。担当職員は「認識しているが、学校は学校でしっかり教育をやる。政治は関係ない」と説明。僕は、「民族学級が足りひんかったから、国際理解教育が足りひんかったから、差別扇動デモを許してしまったという認識を持たなアカンのとちゃいますか」と問いました。差別街宣デモに出てる者にこそ、様々なルーツを大事に日本でともに生きるための「国際理解教育」が必要やったと言うて欲しかった。その後何かの度に市の各担当課へ顔を出し、話をしました。2013年頃には大阪市担当課も差別扇動のデモ現場へ出向き実態把握に努めていると話されるようになりました。2013年2月の鶴橋での差別扇動デモでは、それを現場で見聞きしてしまった民族学級の子どももいました。彼彼女は、よく判らないながらも「やはり、在日であるということは隠すべきかな」とソンセンニムにそっと打ち明けたと聞きました。

 その差別扇動デモの前日に僕が「「死ね」も「殺せ」も もう、やめよう。」と鶴橋駅でプラカードを掲げたことで、様々なメッセージも頂きました。「日本人です。ほんま申し訳ない」という便りも何通も頂きました。様々な場面でハーフだダブルだと言われてきた僕にとって、「日本人だからゴメン」と言われることは、じゃぁハーフの僕は「半分だけご免なさい?」、ダブルの僕なら「めっちゃめちゃゴメンなさい!」なのか? 違うよね?と。

 ハーフという呼び名は、日本語で「半分日本人」であることを意味する英語のハーフから来た言葉。否定的にも用いられるため、複数の国籍や文化を持つことからのダブルという言い方が広がりました。しかし、差別扇動デモを前にして、日本社会で共に生きる者同士で日本人もハーフもダブルも関係ないです。皆、当事者じゃないですか。また更に、ダブルという呼称で言うと、一般的に用いられる用法ではありませんが、両親がともにコリアンであったり両親ともに外国にルーツがあったとしても、日本在住であれば、それは日本とそれ以外のルーツに繋がるダブルと言えます。在日外国人は国籍や血縁に関係無くダブルですよね。さらに日本人であろうと何人であろうと誰もが、自分と違う他者と付き合い共感を増やす中でダブルになるんです。全員がダブルだと認識して、全員がダブルになれば、その瞬間にダブルやハーフということからも解放される筈。僕のアブヂは朝鮮人を先頭に旗を振らせる運動は本物ではないと批判しましたが、僕は子どもと生き成長する中で、「かけはしでも何でもやったろやないかい」という気持ちが強まっていきました。

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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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