多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 5,6
5★民族との出会い
僕にとっての民族学級は、大学で出会った民族サークル(韓学同京都)でした。1990年。出会い頭、上回生が大人で、盧泰愚大統領訪日阻止のためハンストしてたのが衝撃。在日コリアンの歴史、権益問題、北東アジアの平和軍縮、韓国の民主化を共に学ぶサークルです。大学1回生の8月15日に生野で生まれて初めてデモにも参加(僕の子どもたちは既に数えきれないぐらいデモを歩いているのに)。チェサかデモか?と詰め寄られました。韓国の独裁政権打倒というスローガンは良く理解できず声を上げられず。韓国良心囚(政治犯)を即時釈放せよというスローガンだけ声を上げました。民族サークルでは在日コリアンが共同体たりうるのかは常に大きなテーマでありました。活動を通じて知り合った日本人学生の日韓連帯運動の仲間にも大きな影響を受けました。民団総連など民族組織や大人世代の後ろ盾を持たない学生民族運動で学んだのは、自分の頭で考えて行動することの大切さ。また僕は日本人の集まりの中ではあくまでも在日コリアンであり、コリアンの集まりの中では半分日本人で異質であると、ハーフの拠り所の無さも強く意識させられました。
大学の民族サークルは大学と共に卒業。その後、特にどこの運動組織にも加わることは無く、建築事務所へ就職し会社員に。週末、一人で、北東アジアの緊張を煽るなと日韓軍事演習反対のビラを作っては韓国領事館前でデモ配布。京都ウトロという朝鮮人密集地域への関わりでは、ウトロへ来た日本人の嫁たちと農楽サークルを楽しみました。チャンゴは大阪市内、駅前でもどこででも叩いてきました。
様々な社会運動に関わる中で気づいたのは、関わる者が元気に、エンパワーし合えない取組みは、何かが間違ってるってこと。内部の権力的な関係が解消されないのはトップも組織もダメであるということ。消耗しないさせない、潰れない潰させないための繋がりと連帯を。特に異なる意見を人格ごと退けたりする場面も多数見聞きしてきましたが、意見の違いをエネルギーにして、一緒にすぐ横を歩かずとも、「そんなことでうちらは分断されへんのや」と、同じ方向を進んでるという確信を共有し、それぞれが奮闘してそれぞれが止めずに進んでいく大事さを強く意識してきました。
6★妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
妻の若葉は吹田市で高校生のときに朝鮮文化研究会に所属。日本人も在日コリアンも在籍していたが、民族講師はそれぞれを明確に別扱いした。日本人がチョゴリを着ることの批判を受けたり、コリアンの友人との超えられない壁、断絶を知ったりする機会に。在日コリアンが「日本人と一緒やね」と言われたくないことを知る。最近、ある朝鮮舞踊の先生が「昔、日本人の生徒にチョゴリを着るな」と叱責したことを悔やむという話をされた。「日本人も在日コリアンも変わらへんやん、一緒やん」ではなくて、「日本人も在日コリアンも、とっくに一緒に生きてるやん」って僕らは言いたい。
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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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/青ひょん