2009/03/27

ケンガリ奮闘と、韓学同の戦友との歓談(チホエミ結婚式3)



ちほくんと面白なかまたち
僕はテンパリすぎ!



コリアン率高っ!のパーティで、賑やかしにプンムルをする



「太鼓とかケンガリとかで練り歩きました。準備時間が無い中、ケンガリを引受け、やってみる。緊張で色々とヒキツリ気味だったが、個人的にも得ること多かった。年配のお客さんも喜んだとな。お二人さんおめでとう。」


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ってことなんだけど、
僕は基本的にケンガリを叩きたくない体質(?)。 ケンガリは、指揮者のように、「次これ!」「はい、次はこれ」と合図を送ったりと、先頭にて全体の雰囲気を仕切ることが要求される。僕は仕切るとか、気ぃ抜かれへんのはイヤやねん。誰かが合図してくれるのんを聞いて、のんびり気ままに演奏する方が気楽やん! 演奏という限られた空間だけでなくて大抵の場においても同様でして、僕のキャラが生かされるのは、誰かの後衛に位置してプースカ言うスネ夫的な立ち位置やねんてば!! いや、ほんまに。 で、出来れば叩きたくないケンガリを引き受けたのには幾つか理由がありました。

  1. 数週間後に控えるポムソリライブ出演のために、人前でケンガリ鳴らす度胸を養いたかった。ってのは勿論あった。

  2. ちょい昔、2001年に僕と若葉の結婚パーティを開催した際、友人こばきょんがキルノリでケンガリをしてくれた(他に予定あったにも関わらず)。そのおかげで、本当に楽しげな雰囲気を作ることができたんよ。コバキョンには感謝してもしきれない気持ちで、ずっといっぱい。その時思ったのは、「機会があれば、次は僕が、ほかの誰かの大切な場で同じようにしよう」ってこと。

  3. パーティー2週間前に「それっぽい感じで何か賑やかしてくれ」とチホから話を振られ、歌や太鼓でお祝いすることに。もっと早く言うてくれ!^^; で、親友チホくんのパーティか。まさにここでケンガリせんで、いつするねん!? また、「チホの後輩による余興」という枠組みにしてしまうと、きっと、おっさん連中は動かへんに違いない。僕が出るほうが色々と言い訳が立つよね。


って理由でやりました。

で、まぁ、アトラクションの本番始まるまでは、緊張しすぎて飯はノドを通らんし酒は飲まれへんし、なんにもええこと無かったんですが、帰り際、チホのオモニが、

「ご近所の同胞の知り合いも披露宴に呼んだんよ! 皆さん、こんなん久しぶりで、楽しい楽しい、言うてくれましたわ!」

と言うてくれまして、僕も肩の荷もおりました。 ケミン、ポンシギも本当にご苦労さん。

若葉から後で聞くに、僕が 150 坪と広めの会場内を小走りに駆け抜ける後を、「どう見てもカタギに見えない」キソンが「ピッタリマーク!」でチンをボワンボワン言わして、その後ろを、チカラやらリンゴやら子どもソゴ隊の4,5人の小さいのがくっついていく絵はなかなか面白かったとな。どうみてもヨン様@チャンゴのおっさんも、会場の一部ですごい盛り上がってたって。会場のお客さんを全員立たせる(!?)のは成功したんとちゃうかな。良かった良かった。

あらためて、ちほ、えみちゃんおめでとう。また、アトラクションやらせてくれてホンマにありがとう。

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親友写真


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1990年代半ばの韓学同4地方委員長集結



「ディアスポリスの裏都庁は民族国家の枠を超えた枠組みということで割とラディカルだけど、、、確かにフィクションだけど、、、それに近いというか、今や誰もが知る民団・総連をはじめとしたコリアン系の集団も「日本」のアンダーグラウンドとして確かにありまして、僕らはそんな世界の端っこで、大手?に所属することもなく、なかなか健闘していたと思う。戦友である委員長団と楽しい再会。次回もお祝いで会おうね♪」


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ってことなんだけど、
新郎のチホくんが、僕の大学時代に所属した”サークル”友達ということで、その時の友人に久しぶりに対面した。相応に歳取ってる姿を見るのはとても愉快。

韓国学生同盟の1990年代中盤の4地方委員長が揃い踏みだよ。というか、4地方(中央総本部@東京、兵庫、大阪、京都)の委員長が卒業後に仲良くしているというシーンは、多分、業界的に「有り得ない!」のではなかろうか。

どこの”セクト”でもそうだろうが、政治的対立、イニシャチブの取合い、OPの思惑、そういったディアスポリス的?なシガラミが 1990 年代の半ばやっちゅぅのにあったわけ。韓(朝鮮)半島の統一とか、韓国民主化とか、韓米日軍事同盟粉砕とか、在日同胞の結集とか言ってる足元で、民団にも総連にも属さない僕らが、さらに内部対立を深めてたりする。

内輪で分裂してる場合じゃ無いのだけれど、OP世代の政治オルグ、、つまり、情勢認識というか政治趣味の差異や、スポンサーの意向?による先輩世代の”政治的対立”に巻き込まれ、振り回され、とばっちりを、現役学生は被りがちだった訳だ。お題目とすれば、「汎民族大会を支持するのか?」とかな本質/個別論争とか、統一日報とかKHとか今から思えば、「ふーん」という話だけど、当時は、生き死にを目の前にしてたし、必死だった。

そういう面倒くさい背景があるにもかかわらず、僕らの代は「仲良し」だった。僕は他の委員長団が大好きだった。「キセキの世代」と言って、自慢してみてもいいだろう。自慢する相手がおらんけど。僕らが選択した方針は今から振り返ってみても”正しい”ものであった。

そういえば田島くんはどうしてるん?誰か知らんの? RENK 絡みで会ったのが最後、、。「よりによってなんでRENKなん?」「だって、RENK、ってチョンヒョンみたくなんでもありやで」という会話がターくん見かけた最後!(笑)

、、、古い話は置いといて、久しぶりにあって面白かったことをメモしておく。書けるのは時効?になってる部分だけだけど。書けないことは頑張って自前の記憶に刻み付けとく。

  • 当時の中央総本部委員長が「え?汎民族大会って、支持してたっけ、どっちやったっけ?」とか言ってる(笑)
    ただでさえ、関西では「中総委員長の背景」を巡ってゴチャ言うOPがおったり、「東京+京都 VS 大阪+兵庫」 というよく判らない図式を持ち込まれたりで一部で大盛り上がりやったのに。さすが、中総委員長! そういうところも大好きだ。そういえば、なぜかうちの家に、君らの先代の汎民族大会がらみの会議議事録ノートがあるねん。なんで?^^;

  • マー会議
    僕が委員長になる直前、まだそれほど面識の無かったチホと一緒に、「マー会議」が何度も夜中秘密裏に行われた。「マー会議」は大阪京都の先代の世話役と一緒に行われて、内容は、兵庫中総路線からの離脱話など。僕もチホも状況が理解できないところでオルグされる。とりあえずたまらんかった。、、、だったんだけど、当時、マー会議に同席していたヨン様がパーティ3次会にて「おれは、分裂なんて勧めてないぞ」と力説。あぁ、確かに、ヨン様は、そんなこというてなかった。「分派すすめるヤツが、在日朝鮮人運動史をレジュメに書いて、マー会議で説明するわけやろ」と。おぉ、確かにそうですなぁ! ええ話が聞けました。でも、オレ、ヨン様に前回会ったシーンではヨン様から「何しに来てん!出て行け、帰れ!」って糾弾されてたんだよなぁ。懐かしいわ (´・∀・`)

  • 税理士コール
    会場で何度も税理士コール。なんか、ちほが恥ずかしそうで緊張してるのが意外。こっちはもっとテンパってて申し訳なかった。

  • 「仲良し委員長団」であることを言うとき、ちょっとユンヒョンに申し訳ない気分とかあったんだけど、いやいや、それは僕のオゴリでした。自分を過大評価しすぎ。恥ずかしい。次は、4地方で子づれ家族づれで遊べたら、、、と夢見ておこう。


何も食べられへんし体調も悪かったので、3次会の途中(夜中の3時!)で退席させてもろたけど、ほんま、色々思い出したり、悲しかったり、嬉しかったりと、疲れた一日でした。色々な人に感謝。

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 /青ひょん

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