2011/06/09

民族学級(8) 民族学級って? コメントの続き #minzokugakkyu

「民族学級、名前の話題」より→

うり坊 さんのコメント...
こんにちは(^^
ご丁寧なお返事ありがとうございます。

名前の件は毎年必ずどこかでもめています。
特に母親が韓国籍で父親が日本籍(我が家)の場合、しかも母親がすでに帰化している場合などが一番トラブルが多いような気がしています。

母親の名字を使わせて韓国風な名前を名乗らせる、または日本の苗字(本名)を民族学級内で使わせない、ということは「本名を名乗ろう」という教育とは大いに矛盾した点で、保護者としては「ルーツや本名云々というのはただの大義名分なんでしょ。朝鮮民族としての教育をしたいんでしょ。日本の公立小学校でそれはおかしくない??」となってしまうのは仕方ないと思います。

何で日本の苗字は名乗らないんでしょう?本名なのに。数年前の保護者会の会長さんも帰化されてて、日本名が本名なのに以前の韓国名で表記されていたり、子ども達は名前だけだったり。 うちの次女は日本読みのまま韓国で出生届を出しましたが、民族学級では韓国読みされます。

ある人に相談すると 「在日の中にもいろんな思いがあって当然。『選択がない』という日本従来の教育が結局民族学級をもいびつなものにしているし、結局そういう選択権のない中で育ってきた講師や保護者の間で壁が出来てしまう。」

民族学級はこうでなくては(「韓国風読みの名前」「ルーツがある子だけを対象」「日韓融合のイベントでは民族学級優先」「6年生の歴史教育では日本に味方する見方をしてはいけない」…)、という「自由・開放を求めることを強制する」場であって欲しくないのです。

国・国籍という大人が勝手に引いた線の内と外で子ども達を分ける、保護者を分けるのではなく、今住んでいる地域・国のために皆で何が出来るのか、将来の子ども達の生活を考えたとき、今の民族学級の在り方は果たして吉なのか凶なのか。そしていつまで民族学級が続けば満足なのか(いつまで「ルーツ」を引きずるのか。数百年さかのぼれば私のルーツは中国かも)。

私は御幸森商店街まで歩いて行ける処に住んでいます(^^ シンミのお子さんは次女と同じ保育園でした♪

また勉強させてもらいに来ます~!

2011年6月8日13:44


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あちこっちにURL飛んでごめんなさい。折角なのでこっちも新規で投稿させてもらいました。

うり坊さん、よう色々知ってはりますやん!
で、僕が見知る範囲では、「民族学級がいびつなものになってる」というか、色々な思いが世の中にある中、政治も経済も「いびつ」なことになってる、という印象です。

「教育」は勿論「家庭」でも行うことでしょう。でも、「家庭」だけでなく、社会にもその役割はあるべきやろね。民族教育、、というか国際理解教育(どっちも中身が重要なんですが、よく判りませんよね^^;、なんとなくね) は、例えば大阪の行政に率先して保障して欲しいと僕が思う内容です。

教育は全ての対象者が”同等”に保障されるべし、そういう基本ルールでいくなら、国際理解教育についても、一本筋の通った「指導要領」のような方針が無いと出来ませんよね。たまたま行く地域の学校によって、指導の内容が異なるというのは基本ルール的には良くありません。

ひとつの「指導要領」、例えば「民族名を名乗る」という指導がこれまでの一世、二世の思いと、教育・行政に携わる方々の勉強と努力で行われてきたという背景はあります。僕は、僕の子どもが通う同じ小学校の卒業生です。東住吉区。僕が小学生の頃は民族学級はありませんでしたが、「朝鮮名しか持たない僕(通称名なしでムンチョンヒョンと名乗ってた)」に対して、担任の先生が、名前の事や西暦表記のことなどを「指導」してくださった記憶は割とはっきりとあります。学年で日本人ぽくない苗字を名乗ってるのは僕の兄妹・従兄弟の数人だけでした。寺田町、杭全、百済より南方面はそんな感じやなぁ。

で、「民族名を取り戻そう」、「日本国籍を取得しても(帰化しても)ルーツである朝鮮風苗字を名乗っている人もいる」、そういう背景を踏まえつつ、現場では保護者と子どもと職員と民族講師が一緒になって悩んで個別対応をするんでしょうね。日々の支度で精一杯かもしれん民族講師にそこまで対応してもらうんも大変な気がするねんけど。

うちの小学校では学年に数人の対象者がいるか?ってところです。今年度1年生は民族クラブ参加者はゼロです。今も昔も同じ感じね。そういう学校と、うり坊さんの居られる地域とでは判断も異なってええと思う。基本ルールとずれるけどね。

コリアンはじめ外国籍住民が多数いる大阪で、その一番コリアンが多い地域の学校ぐらいは、「民族名がいいよ!」ぐらいに強い指導をしてもええやろ^^; と思うわ。で、それを受け入れるか、受け入れないかは保護者や子どもが勉強して決めること。

うり坊さんは、そんなことをいつまで?と言うてはりますね。

>民族学級が続けば満足なのか
>(いつまで「ルーツ」を引きずるのか。
>数百年さかのぼれば私のルーツは中国かも)


また、うり坊さんは、闘ってこられた方々が居って今がある。でも、その役割は終わったんじゃないか?というような事もおっしゃられてたかと思います。いつまでかと言えば、そう闘ってこられた方々が皆さん死なはるまではそうなんちゃうかな。だからあと4、50年かけて、ゆっくりと状況は変わっていくのではないでしょうか。とはいえ、それまでに保護者や理解ある行政サイドの努力むなしく「大阪で国際理解な教育に金をかけるべきでない」と市長や知事が潰さへんかどうかはあやしいところ。国際理解教育だけでなく、留守家庭児童対策でも何でも「自己責任」で予算減らすのに必死やからなぁ。「福祉」や「教育」が非常時や非常時や言うてえらい目にあっとるなぁと実感してます。

「民族学校に行かせるでもなく、近所の日本の学校に通う外国にルーツがある子ども」も、そういう子どもが通う学校の「民族学校に行くでもない、日本にルーツがある日本人の子ども」が、日本のことだけでなく地域の友人のルーツも含めて学べるって、ええ感じやと思うよ。

ウリ坊さんのお子さんは、民族学級を楽しんではるようですね。学校の授業数も増えて、クラブや習い事で忙しいのに、民族学級でも楽しみを見つけてえらいなぁ。民族学級で何が良かったのか、学んだのか、そういうことが周囲に伝わるともっといいね。朝鮮語韓国語やチャンゴやノレやってるから言うて、それがどうした?って思う保護者もおるやろしね。僕の場合は、たまたま太鼓好きなので良かったものの^^;

民族学級や民族学校が各々の活動を広く周囲にアピール足らん、なにしてるかわからん、そういう声を聞くことがある。けど、それは別に何かを隠してるわけでもなく、必死で必死で、そこまで手が回ってないだけやと思う。あなたの耳まで届いてなくてゴメンね!って言いたい。それを知る人が、知りたい人に伝えていけばいいねんけどね。

>また勉強させてもらいに来ます~!

ようそんなこと言わはるわ^^; 色々なことを考えている保護者がいて、色々なことを考える保護者や民族講師や職員が繋がることが大事やと思う。 (忙しい中大変やけどね、できる範囲でね)

昨日、息子が「夏のハギモイムの参加確認」の手紙持って帰ってきてたので、僕も「アボジオモニの会」に出席するよ、ってマルしときました~ 。息子は2年生なのでやっと2回目の参加よ。諸先輩方よろしく。

トケビマンナロに続く→

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 /青ひょん

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