多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 1,2
1★ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
大阪で一級建築士・グラフィックデザイナー。日韓ハーフの在日朝鮮人。韓国籍。妻+子3人。保育、学童保育、民族学級、小中PTA。1971年5月大阪生まれ大阪育ちの44歳。
(名字のムンは仕事でもなるべくカタカナ表記。日本の戸籍名の「文」だと、「ブン」としかどうしても読みたくない方が結構おられるので。名前の「ヒョン」は戸籍上の漢字が難しいので(火玄)、カタカナで役所へ通称名登録しています。)
最近、僕の仕事場である建築現場でも日常的に多言語が飛び交うようになりました。外国にルーツある住民が大阪に増え、地域や職場が多文化、多言語な状況になっているにも関わらず、なぜ、国際化といえば英語能力を高めることであるとされているのか。英語も大事ですが、地域の多文化状況を知り、学校現場を通じて大人もしっかり繋がって、学校から町へ「だれでもおってええ」を広げていこう、大人の活動や雑談の場を広げよう。学校がもっと変わらなければ世の中が変わらない。学校が最前線です!という話をしたいです。 僕とアブヂと息子は、3世代で同じ大阪市東住吉区桑津小学校に通いました。僕は民族学級(民族クラブ)未経験ですが、息子たちは設置されて約10年のハヌルの会に参加。当初隔週で実施されてきた民族学級も、活動の定着と内容の発展のために毎週実施を大阪市にお願いし、数年前より毎週実施に。10人前後でアットホームな雰囲気。今年度は柳侑子ソンセンニムが担当。民族講師は非常に不安定な待遇ですが、うちの学校管理職、教務主任、外担などの先生方は活動に大変理解があり、私達の話をよく聞いて下さり一緒に盛り上げて下さっています。
2★僕のアブヂ(父)と母の出会い
慶尚南道の僕のハラボヂ(祖父)とハルモニ(祖母)が渡日。多妻でしたが1番若いハルモニ、僕のおばあちゃんと生活。アブヂは在日韓国人2世。4人兄弟の長男。学生時代より在日朝鮮人の近現代史を研究。在日朝鮮人運動史の年表作成。金剛学園や、湊川高校などで教職についた後、大阪市内で自営の学習塾を経営。和歌山県人父と長野県人母の長女である僕の母は、大阪の女子校女子大を経てアジア近現代史を専攻し、僕のアブヂと出会いました。母とアブヂで日韓条約の研究書を共著。30年前は生徒に手を上げる塾として近所で恐れられ、何かの折に僕もよくどつかれました。さすがに今はどつかない。僕と妹を育てた2人は、現在6人の孫の近所で生活し、アブヂは身体を悪くし数年前に危篤になりながらも、だまし騙し学習塾を続けています。
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★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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/青ひょん