多様なルーツを大事にする社会を実現させたい/自己紹介 3,4
3★アブヂの活動家不信
アブヂが勤めた湊川高校では当時金時鐘氏も教員で、人権教育として朝鮮語が必修でした。アブヂは朝鮮人生徒を先頭にたたせる運動は偽物だと異議を唱え続けました。アブヂは民団組織に関わった時期もありましたが、いきさつがあり民族組織からは離反。アジテーションばかりの朝鮮人活動家が大嫌いで、運動圏とも距離を置き日本人の研究者たちと親交を深めながら、在日朝鮮人の運動史研究を続けました。僕が「在日朝鮮人」を自称するのは、そんなアブヂたちから学んだ戦中戦後の在日朝鮮人運動史に繋がり、運動史を引き受ける者でありたいという思いからです。4★通称名は持たないけれど
僕はその在日韓国人2世のアブヂと数世代日本人の母との間に鶴橋バルナバ病院で誕生。通称名を持たず幼稚園時代から名札はムンチョンヒョン。アブヂは幼少時は通称名を名乗っていたとのことですが、僕が名前で悩まない様にとあえての命名。対して2歳年下の妹は苗字は文(ムン)で名前は朝鮮語でも日本語でもユキ(ユギ)のマジックネーム。最近、妹から「私もコリアンぽい名前が良かった」という話を聞き驚く。僕は小中高と大阪市内の日本の公立学校園へ通学。家は東住吉区北端、そかい道路南端の桑津杭全辺り。1学年に数人、外国にルーツがある子が居そうな雰囲気で、うちだけ日本人ぽくない民族名のムン。しかし、面と向かって「からかわれた」経験は1度も無し。民族学校や民族学級の存在も知らず。朝鮮半島が分断されており、南側にルーツがあるらしいという程度の理解。中学、高校も民族的な出会いは全くなし。周囲で日本人っぽくない名前、見た目の人間に出会わずに高校を卒業。40歳近くなって「この朝鮮人め!」と差別扇動デモで要らんことを言われたのが初体験でした。--------
★目次
0*はじめに
1*ムン 青ヒョン(ムン チョンヒョン)
2*僕のアブヂ(父)と母の出会い
3*アブヂの活動家不信
4*通称名は持たないけれど
5*民族との出会い
6*妻が知った深い溝。日本人と在日コリアン
7*子どものパスポート
8*民族学級の保護者活動にも出会う
9*だれでもおったらええやん
10*チョゴリを着る思い
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/青ひょん