『夜は短し歩けよ乙女』百万遍東一条ものがたり
↑若葉@妻が何か書いておりますが、
その若葉に 「京都時代の生活圏の話やから、一読しとき」 と言われました。あと、見た目?森見っぽいマイミクおはるさん的には 「流行もんは、僕のカカリじゃ無いので読まない」 らしいという話も聞き及んでおりました。私も「本屋が薦める本って何となくイヤだなぁ」と、読まず嫌いでありました。
しかしながら時を同じくして、「週刊「太陽系をつくる」 デアゴスティーニ」 が完成までに 10 万円弱かかることにはっと気付き(!)、私には不釣合いで縁の無い代物であったのかっ! と、あきらめの胸中にむせび泣いていたのも事実です (つд`) ぽっかり空いた心の穴を埋めるべく、カワイイと評判の売れ線京都恋愛ファンタジーを手に取ることにしたのです。
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私は学生時代、百万遍・東一条に大阪から2年間通い、プラス4年間の寮生活をその地でしておりました。そういう意味では立派な「東一条人」でありました。なるほど、『夜は短し歩けよ乙女』の舞台もピッタリ重なるようです。しかし作者の森見氏というのは私より8つほど年下のようで、ということは、同じ景色を共有している訳ではギリギリ無いようです。西部講堂が燃え尽きた後で、サークルボックスが潰されたあとで、色々な地下の景色も変わった後ですね、、。
それでも、物語を占める大層な語り口のゆえか、「新しきなかに古きを見る」ような、懐かしく確かに存在した京都の景色を感じることができました。「語り口」にはまだ秘密があろうかと思いますが、それは後述します。
『夜は短し歩けよ乙女』は、世間には「ファンタジーもの」として受け入れられてると聞きました。しかし、私の見るところ、あの時間あの周辺を学生生活の拠点としていた読者には、高い確率で、フィクションとしては読まれていないでしょう。そう、おそらく。 2、3度読んでみましたが、細部においては「確かに違っている(??)」ように感じますが、大筋においては、あれはどう読んでみても「僕(たち)が経験した話」です。
春に先斗町、木屋町で飲み歩き、見知らぬ路地で迷ったあげく、川原を原チャリで爆走するも、原チャリに乗ったままぶっとび色々大破。痛くて苦くてゲロ味のマズイ思い出。
夏の下鴨神社の「納涼古本祭り」では、暑さと汗で朦朧となりながらも、本との胸踊る再会、あの人にも再会! これって暑さで幻覚? さぁどうするよ、汗と涙と砂ホコリ満載の夏の思い出。
秋の11月祭(学園祭)シーズンは、、、。 、、、。 ん? あれ、、? どうも、秋の描写は、「むんちょんひょんマンガ祭り」で観た『ビューティフルドリーマー』『未来少年コナン』や、「新宿梁山泊」のドタバタ劇が、虚実交えて記憶と化しております、、。
冬は、、、冬の一人暮らしの風邪は本当に辛い! 狭い部屋で、風邪にむせながら布団に包まり、「あぁ、このまま、ひとりで眠るように死んだって、誰にもわからないね。なんて、ちっぽけなんだろう!」 と泣きながら咳き込んだ思い出。
『夜は短し歩けよ乙女』には見事に、あの時の「僕(たち)の気持ち」「僕(たち)の台詞」が詰まっております。
、、、。
と、
そんなアホウな妄想が可能なのは、『夜は短し歩けよ乙女』に確実なリアリティが存在するからです。それは、百万遍周辺に生きた者には暗黙の了解で認識されることなのです。
何か? それは、私が「京大弁」と呼ぶ”ひとつの方言”が、『夜は短し歩けよ乙女』において、生き生きと描かれているという事実に立脚します。(別に同志社弁でも、立命弁でも、百万弁(!)でも良いのだが)
京都には様々な地域から学生などが集まります。それぞれが、それぞれの方言で語らえば良いのですが、「語り口」と言うのは伝播し伝染し移ろいゆくものでありまして、勤勉な読書家の(?)学生たちの共通の「語り口」が「文語調」「劇台詞調」になるのは必然なのであります。
物語の中で仰々しい語り口が展開されますが、それは、確かに、現実の百万遍周辺で語られる、語られたであろう台詞なのです。
京都、特に大学周辺は、関西にありながら、”関西弁”を話す者が少数派であり、口語調ではない舞台台詞のような語り口、すなわち、私が言うところの「京大弁」が多数を占めておりました。とりわけ大学周辺において、興奮してきたり! 勢いが増してきたり! 地下に潜るときなどは! どういう訳か、京大弁を話す私に気づくのです。
説明台詞っぽい言い回しが好まれましたが、何より、短い端的なフレーズにおいても、京大弁は発揮されたものです。
「なーにー?」
「なんだとー?」
「はっはっは、ざまぁみさらせ!」
最近ではクールポコ状態、、、とでも言うのでしょうか?(←言わない)
普段、フィクションの中でしか聞き得ないような語り口が「路上」を占めるのです。「文語調」の「寸劇」への参加を、軽く強要される雰囲気があると言っても良いでしょう。私は普段、河内弁に近い大阪弁を話しますが、大阪弁を話す者というのは、どこでも大阪弁を話そうとするものでありまして、ゆえに、より一層、「京大弁」を話す役どころを軽く強要される際の、恥ずかしいような、気持ち悪いような、なんともいえない気分のことを、私は未だに忘れることができないのです。
また、逆に言えば、「文語調」「劇台詞調」の言い回しというのは、いかにもフィクションでしか通用しない方言であるよう認められるのですが、いざ舞台を京都、例えば百万遍・東一条に限定してしまと、いきなりリアリティのある「現実感を指し示す表現」と化すのだ、とも言えるでしょう。
ファンタジーとして読まない立場もありうる部分が、『夜は短し歩けよ乙女』全体の魅力を増しているのでは!? それを伝えんがため、以上、元東一条人が書きました。
そうそう、なんとか来年も会館に居れるようです<ハナットン京都
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物語中に過去の物語の名前が色々出てくるのですが、もっと出てきてもよさそうなSFジュブナイル方面では『飛ぶ教室』ぐらいしか目に出来なかったのが残念でした。下鴨神社の古本祭り、本当に懐かしいなぁ。そういえばカナファーニも復刊するんだってね。でもね、でもね、「春画」は正直、物語で語られるほど、皆の心を掴んで離さないネタでは無かったように個人的には思います。学生ってオトナやで! 物語のオチの一つとして「春画」が使われてるのが、、、読んでて気分乗らなかった。確かにどこの古本屋でも置いてたりしたんだけどね。「春画、あっそう、ふーん」で終わりな気がする。それよりも、例えば”昭和”の『エロトピア』、官能劇画誌群をカワイク取り上げてほしかったなぁ、、などと思ったり。
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2 コメント:
この写真、
・・・なんだか、なんだか、とっても素敵ですっ!!
色も、迫力もすごくて、
なんだか、匂いまで伝わってきそうな感じですね!!
私も負けないで、もっとガンガン撮っていきます♪
ちょっと・・いえ、かなり焦りましたっ
(↑もちろん、いい意味ですよっ
/betty
>>「もちろん、いい意味ですよっ」
おっ! ナイスふぉろー!!乙
っていうか、フォローになって無いんちゃうん!?^^;
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