2008/03/04

京大、地塩寮、韓学同京都と「法人」化





周囲はすっかり雰囲気が変わってた、
京大文学部辺り。
L地下、ブンピカを上から外から見てみる。
それらしいものがまだあって、
ちょっと嬉しいような、どうでもいいような。


僕は、京大に1度も在籍したことがない。しかし、そこで費やした時間や、身体的な感覚においての「僕のキャンパス」は、やはり、「京都大学」だった。(僕が実際に卒業したのは京都工芸繊維大学 造形工学部 建築1(?))

生きていく上で重要な「好き嫌い」「振る舞い方」は、17歳までに漠然と形成しえたと思う。その後、その「好き嫌い」「振る舞い方」について「確信」(正しい/間違い、趣味いい/悪い、理論武装/放棄)を得るのは 20 歳前半のこと。1990年代前半を過ごした京大周辺の、韓学同京都(韓国学生同盟京都府本部)、学部6回生まで過ごした地塩寮、百万遍や東京ラーメンという場所に於いて、僕の確信は深まっていった。

僕の人生の中で、最も濃密で、流れる時間の緩急が激しい時代。

それ以来、韓学同京都OP地塩寮OPとして、たまに東一条近辺を訪ねることはあっても、ここ数年はご無沙汰状態。

先日、僕のアボジ(父親)と同い年のOP(韓学同京都OP、地塩寮OP)からハガキが届いた。内容は、「韓学同京都の事務所問題、今後の活動についての懇談会開催」のOP参加呼びかけ。会場は地塩寮前の「会館」。

という訳で、リンゴ達に留守を任せ、1人で京大周辺を歩く。確かに大阪も天気は良くなかった。でも甘かった。京都をなめていた。出町柳駅を下りて目に入ってきたのは、屋根という屋根に積もる白い雪。ふらふら百万遍まで進むうちに、視界がなくなるほどの吹雪の中を歩くことに。

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韓国学生同盟については説明を割愛するが、もともと1970年前半までは民団の傘下団体。その後、特に後ろ盾(?)の無い在日コリアン系の学生サークルである。看板を掲げて 60 年ほど経つサークルなので、それぞれの時代、それぞれの地域で、それぞれ独自な活動が展開されたかと思うが、僕がよく知る10数前年の時点では全国4地方体制であった。その後、大阪・中総(東京)は実際、看板を下ろしている。

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事務所問題には幾つかの側面があるが、1つは、現在「任意団体」である家主が「○○公益法人」目指している辺りで、店子との「契約の改訂(部分的事務所使用)」、店子の「整理(追い出し?)」を「せざるを得ない」として方針化してる。 店子の方も任意団体だけど、それでこれからの世の中どうなん? それでええん? どうする? などと、現役も僕も情勢に追いついていない感じ。



大阪だと、有名どころで、

生野の「アリラン」「聖公会生野センター」、民権協・民促協・ワンコリの「コリアNGOセンター」、 人権協会から「コリア人権生活協会」、民闘連の「在日コリアン人権協会」、鄭早苗の「KMJ(在日コリアン・マイノリティ人権啓発研究センター)」、、、

辺りはさすがにNPO法人化済み。巨大な(?)任意団体、民団本部、総連本部あたりは、法人格を巡って、誰がどう動いているのかな? さすがに僕の耳までは届いてこない。



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座談会には、現役執行部と 1970、1980、1990、2000年代 OP がパラパラと並んだんけど、びっくりしたのは、僕(1993年度委員長)が、上からも下からも真ん中だったこと。そないに年を取ってるとは、、。とりあえず、現役の手助けになることで、僕に出来ることはするつもり。

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確定申告手続き終了~

これで、年明けから続いた手続き関係(日本の役所+領事館にライト出産(婚外子)関係、家庭裁判所で苗字変更、確定申告)がひと段落。あとは、来春以降の保育園手続きの完遂だね。




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